ある日,いつもは,私の横でぬいぐるみを抱えて一緒に寝る小学1年生の娘が,違う部屋で寝ると言い出した。 娘はインフルエンザに罹っており,前日までは,夜になると高熱にうなされ,私の体に,がしっとしがみついて寝ていたのにである。 どうしたのかな,嫌われちゃったのかな。と母としては何となく複雑な思いを抱きながら数日が経過した。 インフルエンザも快方に向かっていたころ,「私と寝るのが嫌になったんかね。」とつぶやくと,主人が,「『お母さんにうつしちゃいけんけえ』って言ってたよ。」と教えてくれた。 家族で,私だけがインフルエンザに罹っていないのを気にかけての行動だったとのこと。 まだまだ,ぬいぐるみを手放せない1年生が,私の身体のことを気遣ってくれていたことに驚き,娘の優しさとともに成長を感じることができた。 今では,娘も元気になり,いつものように,ぬいぐるみを抱えて一緒に布団に入る日々が戻ってきている。. これは我が家の洗面所に貼られたレポート用紙の言葉である。長男が高校2年の春に書いた言葉。おそらく友達や先生,書籍からのキーワードだと思う。自問自答しながら大学受験を経験し,この冬,無事に成人式を迎えた。今もなお,悪戦苦闘しながら夢に向かって頑張っているようだ。 今では変色し,ぼろぼろになったレポート用紙ではあるが,いつしか我が家を支える言葉となった。 私自身,毎朝,毎晩目にすることで,エールを送りつつ,自問自答している。長男が日々自問自答したように。. 自分は身体障害者。なんとか一人,自立生活を送っています。一人,買物に出掛ければ,見知らぬ人が私を笑う。心ない声,目があり,外出を控えるようになりました。 つい最近,親戚の食事会に呼ばれました。手土産を準備し,いざお店へ。足場の高さ,いすに座ること・・皆には日常風景。私には難問が待ち受けます。そんな私に,「足台もらおうか?」「座れる?」の声。 当たり前のように聞こえてしまう,この一言や心遣いが何よりうれしかった。市内の道では,嫌がられる私。隅に座る私に,「隣に座る!」と姪が言ってくれる事にも感謝した。 家族に頼ってばかりなので,負けずしっかりしないといけないなと感じました。. 前を歩いていた人が,何か落とした。よく見ると,ボロボロになったキーホルダーだった。周りにも人がいたけど,通り過ぎて行く。 僕は拾おうか放っておこうか迷っていたけど,手にはボロボロのキーホルダーが握られていた。 見ると予想以上にボロボロだった。どうしてこんな物を付けていたのかというくらいボロボロだった。 僕は落とした人に声をかけ渡した。 こちらが驚くほどお礼をされた。すごく頭を下げられたので,恥ずかしいくらいだった。 届けたのは僕だけど,何か大事な物を送られた気がした。. 広島は7月の豪雨によって多くの被害を受けました。山陽本線も不通となり,2か月近く新幹線による代替輸送が行われました。その間、仕事帰りの新幹線は大混雑で、さながら通勤ラッシュの満員電車のような状況でした。座席に座ろうと思えば、30分近く前から並ばないといけない状況が続いていました。そういった通勤を続けていた夏の暑い日のことです。 その日も、帰りの新幹線の広島駅のホームは帰宅する人でごった返していて、猛暑でみんな汗をダラダラと流しながら新幹線の到着を待っていました。そのため,少し殺伐とした雰囲気もありました。なんとか座って帰ろうと私も30分近くホームに並んで待ちました。やっと新幹線が到着し,車内に入って座ることができてほっとしていたところ,ふだんは新幹線を使っていないだろう,小さい女の子とそのおじいさんと思われる2人が乗ってきました。2人はふだんの新幹線ではありえないような大混雑にとまどっているようでしたが,座ることはできず,車内の通路に立つことになってしまいました。小さな女の子もおじいさんに「ここに立っていよう。」と言われ,とまどいつつも立っていようとしていました。 座ってほっとしていた私は,譲った方がいいなとは思ったのですが,3人席の一番奥に座っていたため,どうしようかなと逡巡していたところ,近くの男性が,なんのためらいもなく,「どうぞ、座ってください」と譲られました。私はその光景を見ながら,座られていたということは,おそらく暑い中,何十分もホームに並ばれていたと思われるのに,何のためらいもなく譲れる姿に,暑い日でしたが,爽やかさを感じました。また,ためらわなかったことで,女の子にもおじいさんにも必要以上の恩を着せるということがなかったようにも思いました。 私も,相手に負担や重荷を背負わさないような思いやりを届けるようになりたいなと思いました。. 平日の朝,バスに乗って仕事に向かっていた時のことです。その日は蒸し暑く,雨が降りそうな天気であったため,バスは傘を持ったたくさんの通勤,通学をする人達で満員でした。道路も車が多く,時刻表通りにバスも進んでいませんでした。「このままだと予定より遅い到着になりそうだな。」と私には少し焦る気持ちがあり,周りを見てみると,時計を何度も見ている乗客もいました。 終点まであと少し,というバス停で,何人かがバスを降りていきました。運転手さんがドアを閉めようとした時,急にドアの近くに立っていた一人の男子学生が,運転手さんに話しかけていました。「また到着が遅れないか。」と思った時,その学生はバスを降りて行きました。バスは停まったままで,ドアも開いたまま。何かあったのかと車窓からその学生を探していると,先ほど降りた人に,学生が傘を渡しているのが見えました。私以外にも,乗客の多くはその姿を見ていたと思います。すぐに学生は戻ってきて元の場所に立ち,バスはまた出発しました。 私と親子ほどの年の差のあるその学生が,すぐに行動できる心の持ち主であることに,私は感心させられました。 その後は,蒸し暑かった車内も心なしかさわやかになり,他の乗客の人たちの表情も和やかだった気がしました。 朝から元気をもらうことのできた一日でした。そして,元気をあげられる人になろうと思いました。その学生に感謝したいです。. 先日,ある県立高等学校で生徒さんの発表を見る機会をいただきました。3年生の生徒さんが,自分たちが設定した課題について研究し,その内容を全校生徒に向けて発表するというものでした。6つのグループの発表を聞かせてもらいましたが,どのグループも課題の解決に向けていろいろなデータをもとに考えたことを堂々と発表していて,今,ニュースなどでよく聞く,アクティブラーニングを行われているのだなと感じました。もちろん,発表した生徒さんもすばらしかったのですが,それよりも感動したのは,会の司会を生徒さんがされていたこと,そして,発表を聞いていた生徒さんの態度でした。発表を静かに聞いていたのはもちろんのこと,休憩の間,騒がしくしていても,司会の生徒さんが「次の発表を行います。静かにしてください。」と言った途端,一瞬にして静まります。公と私の切り替えの大切さ,発表者への敬意が感じられましたし,先生方から怒られるとか,押し付けられてやっているわけではない様子から,心も育てられているのだと思いました。 若い世代のモラルが身についていないとよく言われますが,清々しい生徒さんたちの姿を見ると,私たちの世代もがんばろうという元気がでました。 ありがとうございました。. 子供達は,おじいちゃん,おばあちゃん達にジュニア観光ガイドをしたり,自作の観光パンフレットを片手に駅前でお客様へのアピールを企画したりしている。時には「マイネーム イズ・・・」なんと,英語で外国人にトライしたり・・・子供達の新鮮な視点や,純真な気持ちに支えられて取り組んでいる。. そうこうしているうちに,仲良しになった子供達から,街角で,あちらこちらで 「あっ!しんもとさんじゃ!」 「こんにちは!」 と声をかけられるようになった。ちっちゃな手を精一杯振りながら,時にハイタッチ!つい乗ってしまった自分に赤面したり。. 先日体育館で行った,学校朝会での出来事である。 学校朝会では,最初に校長が全校生徒に向けて話をしたり表彰式を行ったりしている。それが済んだ後は,学年ごとに分かれ,健康観察や担任からの指示・伝達が行われる。それらが終われば,学年ごと解散となるので,生徒たちは体育館の出入口に向い,各学級のある校舎へと移動する。 その日の学校朝会では,3年生が1番早く終了し,体育館の出入口にある下駄箱に向かって足早に移動を始めた。 そんな時,ある3年男子生徒のとった行動は,私自身を不可解にさせるものであった。その行動とは,体育館の出入口に1番遠い場所で解散するや,その場で自分の履いていたシューズを脱ぎ,手に持って移動を始めたのである。これが夏の時期であれば,体育館の出入口が混雑するのを避け,少しでも早く下駄箱に自分のシューズを置きたいための行動か,と想像できなくもない。しかし,時期は11月も終わりを迎え,体育館フロアーの冷たさも足に堪えようかという寒い時期である。 そこで彼に尋ねてみた。「なぜ,そんなに早くシューズを脱いで移動したの?」と。すると彼の返事は,私の予想した考えを,根底から覆すものであった。 「まだ朝会が終わっていない学年があったので,音をたてないようにと思い脱ぎました。」という応えだったのである。 シューズのかかとを踏んで歩く生徒を,これまで度々注意することはあったが,逆に今回の出来事は,そんな浅はかな自分自身の考え方を反省するとともに,子供たちの持っている素直で純粋な気持ちに触れ,心が温かくなる朝の出来事となった。. 実際に走り方を指導していただいた後,質問タイムがありました。 6年生の児童が,「失敗した時,どうしていますか。」という質問をしました。すると,「大きな失敗は,オリンピックの時に転んだことだった。気が付いたら,空が見えていた。そして,予選落ちしてしまった。その時にとても落ち込んだが,ふと,よく読んでいた漫画の主人公のことを思い出した。どの漫画の主人公にも必ずピンチが訪れる。そして,ピンチを脱出できている。だから,自分もこの後結果を出したら,とてもかっこいいストーリーになるのではないか。こう思い直して頑張ることができた。」という内容の答えが返ってきました。 誰にでも失敗はあります。それを自分なりの方法で乗り越えてきた為末さんのお話は,子どもたちだけでなく,聞いていたみんなの心に響きました。失敗の乗り越え方は人それぞれです。子どもたちは為末さんからいいヒントをもらうことができました。. 祖母が要介護3の認定を受け,入所できる介護施設が見つかり,8月12日に入所しました。大好きな祖母だけに,施設への入所には,複雑な思いがありましたが,介護で疲れ果てた母親の姿を見ていたら,仕方ないことだと諦めました。 施設入所の為に,祖母の家の荷物を整理したら,軽トラック2台分あり,我が家の駐車場で保管しました。 祖母は大分の資産家の娘だと聞いていたので,荷物からお宝が出てこないかと興味本意で探ってみました。残念ながら,私が期待した宝物は出てきませんでした。 しかし,荷物の中から,祖父が祖母に当てた手紙が100通ぐらい出てきました。読んでいいものなのかと躊躇しながら,自分が生まれる前に亡くなった祖父がどのような人だったか興味がわいてきたので,どんなことが書かれているのか読んでしまいました。なんと手紙は,祖父が祖母への熱い思いを綴った恋文でした。 読んでいくうちに,祖父と祖母は親に結婚を反対され,駆け落ちをして一緒になったことが分かりました。厳しい環境の中で,祖父母の強い愛情や互いの絆の強さが書き記され,当時の様子を想像しながら読んでいくうちに,胸が熱くなりました。手紙の中に仕事のことや,祖母に贈った詩などがあり,祖父は誠実でロマンチストだったのだと嬉しくなりました。まるで,朝ドラになりそうな内容でした。祖母は,その手紙を全て大切に保管していたのです。 今は,メールで気軽に相手に思いを伝え,簡単に削除しています。祖父の一文字一文字に込めた祖母への強い愛情を今でも大切にしている祖母の思いを考えながら,私自身の生活を振り返り,「もっと頑張らないといけないなあ」と自分自身が情けなくなりました。 興味本意で探したお宝でしたが,私の心に素晴らしい宝物が届けられました。 お盆の祖父の墓参りで,宝物への感謝とともに,祖母を見守り続けるから安心してほしいこと,そして,祖父母に恥じない生き方をすることを誓いました。. 毎年,運動会で5・6年生はエイサーを踊ります。エイサーとは,歌と囃子にあわせて踊る沖縄の伝統芸能のひとつです。 「なぜ,運動会でエイサーをするのかわからない。他のものをしてほしい。」3年前は,そんな声があったそうです。. 窓の外を見てみると,学校近くの子どもたちもよく遊ぶ丘の斜面を刈ってくださっているところでした。あんな所までありがたいなと思って見ていると,「どんどんきれいになりよる!」「すごい!」と子どもたちも窓のところに集まってきました。そして,1人の子が突然「ありがとうございまーす!」と叫ぶと,周りの子たちも次々に「ありがとうございまーす!」 と叫び始めました。. 娘から, 「合唱コンクールのピアノ伴奏をすることになった。」 と伝えられた時,私は, 「今から練習しても,間に合わないと思うよ。大丈夫?先生にお願いして,自分のクラスだけはピアノ伴奏をする人がいないから,先生に弾いてもらうということはできないのかなあ?本当に大丈夫?」 と思わず言ってしまいましたが,娘からは, 「間に合うかどうかは自信がないけど,自分がやらなければ,だれもできないから,なんとかする!」 と少し強く返事が返ってきました。. 先日,娘は先生から卒業式の歌の伴奏を頼まれたそうです。家族のみんなから, 「大丈夫?今度こそ,断った方がいいんじゃない?」 と言われていましたが, 「私,やるの。自分で決めたんだから。」 ときっぱりと答えていました。. という内容です。 雪が降ると子供は大喜びですが,高齢者にとっては除雪作業が大変です。そんな中で,自ら進んで地域の高齢者のため,人のために働けるのは本当に素晴らしいなと思います。「今だけ,金だけ,自分だけ」の人が多いと言われる中にあって,こういう生徒が本校にいることを誇りに思います。小さなことでも人の役に立ったり,周りが喜んでくれたりすることが普通にできる生徒をどんどん増やしていきたいと改めて思いました。. 私は高校で生徒会長になってから,学校や地域に貢献するために一生懸命活動してきました。おもに力を入れたのが,過疎化・少子高齢化が進む地域の活性化に関わることです。私の住む町は,若者が都市へ出ていくことで,過疎化が進んでいると考えられます。私は地域の魅力を高めるため,生徒全員に呼びかけ,様々なボランティア活動を進めてきました。学校周辺の道路清掃や,小中高合同の清掃活動,花を植えたプランターを配布する活動などが認められて,広島県からアダプト活動の認定を受けました。 さらに,地元中学校から本校への進学者を増やし,将来若者を地元へ定住することにつなげる取り組みの1つとして,中学生への学習支援,出前授業として化学の実験指導も行いました。これら多くのボランティア活動により,生徒全員の地域への興味・関心は高まったと思います。私は,過疎化・少子高齢化に関して先進的な取り組みを行っている大学で学ぶことで,私の住む町のような過疎地域への対策,地域活性化の方法について考え,貢献していきたいです。. ある時,そんな私に 「よっ どうや新しい職場は?」 と声をかけてくださる方がいた。 前の職場で大変お世話になった,私のおじいちゃんくらいの方である。 「ちょっとそこまできたけえ,顔見に来たんよ。」 とニコニコ話をされた。 私もいつしか,ニコニコ顔。 なにか,なつかしい,温かい気持ちになった。 少し話した後, 「がんばっとるか心配じゃけえ またくるわ。」 と笑いながら帰っていった。 大学からふるさとを離れ,広島で生活しているが, こんな声をかけ,思ってくださる人のおかげで今があるのだなあと思った。. 僕は中学3年生です。2月4日(火曜日)選抜(1)の受検に行きました。とても,大変だったけど,感動した出来事がありました。次の日,学校に行き,先生に話したら,すごく感動的な話なので県の教育委員会に「心に響くちょっといいはなし」というコーナーがあるから投稿してみたら,と言われたので書き込みます。 朝,広島駅で広島港行きの電車に乗った。乗り場は混んでいて,人混みに追われるように広島港行きの電車に乗った。僕は中電前で降りるつもりだった。電車の中で張り紙を見て停車する電停を確認していると,車内放送で停車駅が,段原とアナウンスがあり路線を間違えて違う電車に乗ってしまったことに気づいた。あわてて運転手さんに,中電前に行きたいと伝えると運転手さんは,次の的場で降りること,そこには電停が二つあることを教えてくださった。 的場で降りてその電停におられた方に広島港行きで中電前に止まる電停を教えてもらった。僕は教えてもらった電停へ行き,そこにおられた方に中電前に止まりますかと聞いた。 その方は,どうしたのかと聞いてくださった。僕は泣きながら,「受検で高校に行く途中なのですが電車を間違えてしまった。」と言った。 その方は「ついておいで。」と言われ一緒に電車に乗り八丁堀で降りた。そして,タクシーを止め,タクシーの運転手さんに1000円札を出し,「この子を国泰寺高校まで連れて行ってくれ」と伝え,僕に「頑張ってね」といって去っていった。僕は何がなんだか分からなくなっていて,お礼も言えないままにタクシーに乗った。 集合10分前に着いた。間に合った。電車の運転手さん,電停を教えて下さった方,そして八丁堀まで連れて行き,タクシーに乗せて頂いた方,そしてタクシーの運転手さん。みなさんの温かい配慮に感謝の気持ちでいっぱいです。. 地域にあるコミュニティサロンで,玖波に住んでおられる方から「敬老会で,うれしいことがあったんですよ。」と,笑顔で次のようなお話をいただきました。 毎年,大竹市立玖波小学校区の敬老会が玖波公民館で開催され,この敬老会に玖波小学校の4年生は全員参加し,合唱を披露しています。今年は9月15日(月曜日)に行われ,4年生児童が元気よく合唱を発表し,お年寄りの方から大きな拍手をいただきました。その時の出来事だったようです。 敬老会終了後,会場の机やいすの片付けが始まった時に,4年生の女子4人が,その方に,「何か私たちも,お手伝いができることはありませんか。机やいすを片付けましょうか。」と尋ねてきたそうです。その時の表情や言い方がとても明るく,自然だったので,この子たちの真心を感じて,とてもうれしかったということでした。 ステージに上がり,ただ歌を披露するだけでなく,「自分たちは参加させていただいているんだ。」という『感謝の気持ち』や「役に立ちたい。」といった『奉仕の気持ち』がこの方の心に響いたのです。 地域の宝である子供たちが,人生の先輩である地域の方に添えた真心,そんな心をこれからも育んでいきたいと思います。. 信号待ちの時,何気なく自動車販売会社のショールームを眺めていました。すると,お店から出て行く一台の乗用車に向かってお辞儀をしている一人の青年が目に留まりました。きっと自分が担当するお客様を見送っているのでしょう。 わたしは,出て行く乗用車に向かって深々とお辞儀する青年を『折り目正しいなあ』と思いながら眺めておりましたが,信号待ちの間ずっとお辞儀を続けている青年の姿に胸を打たれました。時間にして二十秒はあったと思います。 やっと顔を上げたその表情は,実に爽やかでした。義務的ではなく,心からお客様に対する敬意を表していることが分かりました。わたしは,この青年のような心根で人と接しているかを自省するとともに,この青年の生き方を見習っていこうと心に誓ったのです。. 最近,わたしが感動した出来事を紹介します。 わたしの母と孫にまつわる出来事です。 わたしの母と1歳8か月になる孫はとっても仲良しです。先日も一緒に実家近くの児童公園に遊びに行きました。孫は「ブランコ遊び」が大好きです。さっそくブランコめざして走っていきました。そこには先客がいました。二つあるブランコに二人の兄弟がそれぞれ立って勢いよく漕いでいたそうです。小学校一年生くらいの弟と,四年生くらいのお兄ちゃんだったそうですが,孫がこちらをめざして走って来るのを見つけると,お兄ちゃんはブランコを漕ぐのをやめて,孫に「はい,どうぞ。」と譲ってくれたのです。孫は嬉しそうにブランコに座り,漕ぎ始めました。母は(漕いであげよう。)と,後ろに回って背中を押そうとしました。しかし,孫は自分で漕ぎたかったようで,後ろを見て『やめて。』という視線を送ったので,母はやめて様子を見ることにしました。 すると,その様子を見ていた弟の方が,ゆっくりと手本を示すように漕いで見せたそうです。孫はそれが分かったのか,一生懸命にまねて漕ぎ始め,上手に遊べるようになったのが嬉しくて,意気揚々とした様子だったそうです。 ところが,孫が勢いよくブランコを降りた途端に勢い余って前に転び,膝小僧を擦りむいてしまいました。それを見たお兄ちゃんは,猛スピードで走り去ったかと思うと,手に絆創膏を持って戻ってきました。そして,孫の膝にやさしく絆創膏を貼ってくれたそうです。 孫はまだうまくしゃべれませんが,嬉しそうに,何度も何度もお辞儀をして,「ありがとう。」の気持ちを表したそうです。 別れるときに,男の子の兄弟は孫に向かって,「またブランコで遊ぼうね。」と優しく声をかけ,姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれたそうです。 帰るとすぐに母は,児童公園での出来事をわたしに話すと,「あのやさしい兄弟に出会えて,心から感動したよ。あの兄弟のことを,この子もきっとずっと憶えているじゃろうね。」と, 孫の頭を撫でながら話しました。 この話を聞いたわたしも感動して,しみじみ心が温かくなりました。. 亜季ちゃん,今日は運動会の案内をありがとう。私は亜季ちゃんの顔を知らないけれど,お便りを見て,可愛く,やさしい人だと思いましたよ。 今の時代は,電話で話をすることが多くて,便りをくれる人が少ないです。亜季ちゃんからの便り,うれしくて元気が出ました。ありがとう。 運動会には組体操をするのですネ。私も見るの大好きよ。見に行きたいのですが,残念な事に私も25日に踊りの会で府中にいくので,ごめんネ。せっかく案内をくれたのに仕方がないネ。でも,お互いに頑張りましょう。 組体操,上から落ちないように。亜季ちゃん,がんばれ。がんばれ。応援しているよ。 元気でネ。便り,うれしかったヨ。 サヨウナラ。. 先日,バレーボールの観戦のため,神辺旭高校に初めて訪れました。 私は,県北在住なので,東部の学校の実態も全く知りませんし,60代後半の夫婦ですので,最近の学校の状態もよく分かりませんが,生徒の礼儀に感動しました。出会う生徒さん全員あいさつされるし,帰りの坂道で,車の方に身体の向きを変えて頭を下げられる姿,長い人生で初の感動,驚きでした。 日本人としてこんな若者が育っていることに誇りと嬉しさを覚えました。たぶん,あちらこちらからお褒めを頂いていると思いますが,スポーツで勝った以上のことを日々の生活の中で実践されていることに敬意を表します。 こちらに帰っても,神辺旭高校の生徒さんの話をしています。息子も体育教師,孫が中学・高校生,夫も中学生のバレーの指導をしていますので,見習わせたいと思います。 神辺旭高校のファンになりました。. 先月,平成25年度「みんなで作ろう ひろしま自慢」発表大会(西部地区大会)が,私の住まいの近くで開催されたので,行きました。10校の小・中学校の児童・生徒によるステージ発表がありました。 ステージに立った子どもたちの顔つきは引き締まって,輝いていました。本当に一生懸命の発表でした。目頭が熱くなり,胸がいっぱいになるような強い感動を覚えました。一生懸命ってすばらしいですね。発表が終わった時の子どもたちの自信に満ちた表情は,今でも忘れられません。このような子どもたちが育っているといううれしさで,幸せな気分になりました。 ステージ発表の最後をつとめた戸河内中学校の発表,「故郷を思う気持ちと,おもてなしの心を込めた全校合唱」は,70人の声がひとつにまとまって響いてくる素敵な歌声でした。にたにたした表情の生徒は一人もいません。男子も女子も,70人全員が,指揮者の指先に全神経を集中して一生懸命歌っている姿は見事でした。感動しました。戸河内中学校のスローガン「一生懸命が かっこいい!」まさにその姿を見ることができたように思いました。 一生懸命さに心を打たれた,感動いっぱいの発表会でした。発表者のみなさん,ありがとうございました。一年の終わりが近づき,今年一年を振り返ると,この発表会は今年のすばらしい出来事のひとつになりそうです。 来年の発表会には,さらにたくさんの人の参加があることを願っています。. 出張で広島に来ました大阪の会社員です。 本日,昼2時半ごろ広島駅のATMでお金を下ろした後,タクシーに乗ろうとしたとき, 「誰かATMでカードを忘れた方いませんかー。」 と,ものすごく大きな声で叫んでいる女子高生二人組がいました。もしやと思い,近づいて確認すると,それは私のキャッシュカードでした。 急いでいたので「ありがとう」と一言しか言えなかったのですが,駅前で人通りが多いのにもかかわらず,見ず知らずの誰かのために大声で叫んでくれた二人の女子高生に,改めて感謝の気持ちでいっぱいです。 おかげで,私の大切なキャッシュカードを紛失せずに済みました。 乗り込んだタクシーの運転手の方も,「すごい子達やなー」と感心しておりました。 自身の勇気ある行動とは思いますが,広島県での教育の質の高さも垣間見えた気がして筋違いかもしれませんが,こちらにメッセージを送らせて頂きました。 「大声で叫んでくれて,助けていただいたこと,本当に感謝しています。ありがとうございました。」 どうか,二人にもこのメッセージが届くことを祈ります。. 本校は昨日から6年生が修学旅行に行っている。 私は今年度の修学旅行にあたり,願っていることがあった。6年生の中に不登校傾向の子どもがおり,その子にもぜひ参加してほしいという事である。 修学旅行出発前日,その子は母親といっしょに登校して来た。後で知ったことであるが,前の日,クラスの友達が「修学旅行にいっしょに行こう。」と誘いの電話を入れていたらしい。 昨日(修学旅行出発当日)の朝,一抹の不安と期待をもって子ども達の集合を待った。しばらくして,次々登校してくる子ども達の中に,その子の姿を見つけた。少し不安そうにも見えたが,誘いの電話をしてくれた子どもをはじめ,何人もの子どもたちが声をかけていた。 当たり前のことであるが,その子がいつ登校してきても教室にその子の居場所があるように,機会をとらえてはクラスの子ども達に,その子の話題を提供していた担任の地道な努力が実ったようで胸が熱くなった。 今回「修学旅行にいっしょに行こう。」と声をかけた子ども。そして,その呼びかけに応えて修学旅行に参加した子どもの成長がうれしい。 今回の出来事で改めて,子どもを信じて待つことの大切さを学んだ。 今朝,団長から「全員元気で,2日目の見学地に出発します。」と連絡があった。団長の電話の声がいつにもまして,はつらつとさわやかに聞こえた。. それでも、準備・部活・勉強と上手く時間をやり繰りし、 たった5分ほどの発表に全力で練習を重ねる生徒たち・・・。 最近は、「一生懸命に何かをすること」を恥ずかしいと感じている子どもが 増えたように思っていましたが、「何事にも全力」で頑張っている子ども達が たくさんいるのだなと改めて考えさせられました。 まさに『青春』ですね。 帰ってきた娘によると、あのクラスは優勝したのだとか。 「先輩すごかった~! 来年はうちらが優勝するんじゃけえ。」 と目を輝かせて話してくれた娘に、心の中でエールを送る母でした。. 年齢 :40代性別 :男性 職業 :公務員 住所:安芸高田市 それは私が小学校5年生の時だった。卒業式当日、私に卒業生を会場に案内する役目が与えられた。少し重い気分で、仲の良かった6年生や苦手だった6年生の顔を思い浮かべながら体育館から教室に向かった。 教室の前まで来ると入り口は閉まっており、入りづらかったが、思い切って入り口を開けた。「準備ができました。会場へどうぞ・・・」と言うと、一瞬の間。 何か間違ったことを言ったのかと躊躇したその時、担任の先生が「じゃあ・・・行こうか!」と呼びかけると、6年生のみんなが笑顔で「はい!」と応えた。小さくも大きくもない声だった。 涙が出そうだった。いろいろなことを思い出した。少し大人びた卒業生はどの顔も清清しく、まぶしかった。こんなふうに自分も卒業の日を迎えたいと感じた。 あれから35年以上がたった今でも、あの時のまぶしい6年生教室が忘れられない。. 年齢 :50代性別 :男性 職業 :教職員 住所:安芸高田市 この4月初任者が配置された。初めての給料日前日のことである。最近は給料も振り込みになっているので,現金を手にする感動はない。いつもは,本校でも給料日前日に担当の事務職員が給料明細書を職員に配ってくれる。 4月の給料日前日,出張から帰ると,私の机の上にメモ書きと封筒が置いてあった。事務職員からのメモで「明日は給料日です。生まれて初めて給料をもらう職員がいます。校長先生から明細を渡してあげてください。」と書いてあった。 事務職員の配慮にほのぼのとしたやさしい気持ちになれた。 早速初任者を呼び,私の初めての給料日のことや,当時の社会の様子等を話して親孝行をするようにと声をかけ給料明細書を渡した。 後日,初任者が私の所に来て,「先日は有り難うございました。校長先生に言われたように私なりの親孝行をしました。」と報告してくれた。 何気ない出来事であるが,事務職員に感謝するとともに,初任者が事務職員のように,周りの人に配慮ができる教師に成長してくれるよう願っている。. 家族でさくらを見に行った帰りのこと。2時ころ、ちょっと遅めのお昼をとろうと、レストランに入りました。ものすごく混んでいて注文をとるのに30分。注文したものが来るのになんと1時間かかっていました。 家族みんな自然と無口になり、隣の席の家族は「待ちきれない」と言って帰ったほど。みんなイライラしていました。私も帰りに一言文句を言ってやろうかと考えていました。 一番先に長男の注文したものがきました。「いただきます」の前に、小学1年生の息子がひと言。「たくさん待ったお陰で、おいしく食べれるね!」 トゲトゲだった心が一瞬にしてあたたかい気持ちになりました。 私たちはその後、みんなおいしく昼食をいただくことができました。. 県北に,今年一番の大雪が降りました。 朝起きて窓の外を見ると,外は真っ白,40cmぐらいの雪が積もっています。 ああ,また,今朝もこの雪道を通勤するのかと,少し憂鬱な気分で家を出ました。 すると思った通り,道はつるつる,車も列を作ってノロノロと動いています。. そして,その日の夕方,仕事からの帰り道,朝のそんな光景もすっかり忘れて,車を運転していたときのことです。 一人の男の人が,歩道で何かしています。 よく見ると,スコップを持って,雪をかいているようです。 その時,ハッと気づきました。 その場所は,今朝,小学生の集団が,車道を歩いていた道なのです。 きっと,その男の人も,今朝,その光景を見たのでしょう。 しかし,それを冷たく見るのではなく,この人は,「この小学生たちのために何とかしなければ・・・。」と考えたのでしょう。 よく見ると,雪の歩道に,一本の道が,延々と続いています。 この道を作るために,この人は,何時間,雪をかき続けたのでしょうか。 寒い北風の吹く冬の夕暮れの中で,何を考えながら,雪をかき続けたのでしょうか。. 明日の朝,驚きの表情を浮かべながら,笑顔でこの一本の道を通るであろう小学生の子どもたちを思い浮かべた時,何か胸が熱くなるものを感じ,バックミラーに映る,真っ赤な顔で汗をかきながら雪をかく男の人を,私は見えなくなるまで見続けました。 その後ろに続く一本の細い道とともに・・・。. 冬のとても寒い朝,交差点で右折しようと信号を待っていた時のことです。 右前方の歩道で登校中の子どもたちにちょっとした事件が起きていました。 一人の子が,立ち止まって動こうとしないのです。黄色いランドセルカバーをしているのでたぶん1年生だと思われる小さな女の子は,動こうとせず小さくかぶりを振っています。 黄色い班長旗を持っている女の子が,小さな女の子の声を聞こうと一生懸命に腰をかがめていました。何度か背中に手を添えているのですが動こうとしません。 そのうち前にいた男の子が走って,やってきました。その子の手にも黄色い班長旗が握られていました。 その間,二人の班長さんは,待たされている通学班の子どもたちにも時々声をかけている様子で,誰も文句を言う様子もなくおとなしく待っています。 車を運転している途中のこと,声をかけてやることもできず,様子を伺う他ありませんでした。信号が変わり,その場を後にしましたが,どうも気にかかりその場に戻ってみました。その場に子どもたちの姿はもうありませんでした。 高学年とはいえ,まだ小さな小学生が,こんなにも優しくしっかりしている様子に,寒い寒い朝でしたが,心温まる思いでした。. とある中学校の3年生全員が文化祭で劇をやると言うので,そのお手伝いをしに1週間,期間限定の臨時講師的な感じで中学校に通っていたときのことです。役者から道具関係,音照,映像など,3年生全員がなんらかの係に入っているので,私たちのメンバーが各々得意とするポジションを担当して,生徒のみんなと一緒に芝居を作っていきました。もう,ほんとに感動しました。 もともと,教えてあげるものなんて何にも持っていない私たちは,みんなにずっと教えて貰いっぱなしでした。 私として一番の壁は,やはり「言葉」でした。方言はもちろん,ふだん何気なく使ってしまう乱暴な言葉や,社会に出た大人なら素通りするであろう何気ない言葉や行動が,彼らを傷つけてしまうのではないか?と,いろいろと考えて心配しました。 それから,舞台専門用語の変換です。上下(かみしも)はもちろん,出ハケを「行く/戻る」に変えたり,「プリセット」を「準備」に変えたり,尺寸をセンチに変えたり…。でも,そこは生徒・彼らの方が柔軟で,うっかりこっちが「ここで役者がハケて来るから・・・あ,戻って来るから」と言い直すと,次からは「ここで役者がハケてくるんね」と,彼らの方から言ってくれたりしました。本当にみんなすごい! 役者の子達はもちろん,裏方の子達の台本まで書き込みがいっぱいで,ボロボロになっているのを見て嬉しくて泣きそうになりました。 「教えに行く」なんて気持ちは毛頭なく,「みんなと芝居を通じて遊びに行く」という感覚で東京から向かった広島だったのですが,最後には「彼らに誰かとものを作るということを教えてもらいに来たんだな!」とハッキリと思いました。 「誰かと何かを一緒にやる」「目の前の事を一生懸命やってみる」という事に関して,私たちよりもよっぽど優れている生徒・彼らに学んだことを宝物にさせてもらって,リセットされた自分を大事に,また次の舞台現場に行きたいと思います。みんな,本当にありがとう!. 放課後,1人の子が, 「先生,木にかさが引っかかっています。」 と職員室へ呼びにきました。 行ってみると,木の枝の少し高いところに,赤いかさが1本,開いたまま引っかかっています。 取ってみると,かさに1年生の女の子の名前が書いてありました。 「きっと,風でも吹いて引っかかったのだな。今ころ困っているだろうな。」 「でも・・・,引っかかったのなら,職員室まで言いに来たらよかったのに。」 と思いながら,家の方に電話をしました。 その子はまだ帰っておらず,お家の方に事情を説明して,明日返すから心配しないようにその子に伝えてほしいとお願いして電話を切りました。 すると,しばらくして,その女の子のお父さんから,学校に電話がかかってきたのです。 そして, 「実は,・・・。」 と言いながら,娘から聞いたことを話してくれました。. 年の瀬も迫った,休日に近所の公園で餅つきが行われていた。毎年,地域のサークルや自治会が中心となって行われているそうだ。「よいしょ」「よいしょ」という威勢のいい掛け声と,子どもたちの楽しそうな声がするのでぶらりと公園に立ち寄ってみた。 公園の水のみ場の近くにはもち米を蒸す蒸篭が2組,中央には,土嚢袋で固定した石臼が2臼あり,地域のおじさんたちが中心となって餅つきをしていた。その周りには,孫を抱いたおじいちゃん,おばあちゃん,若いお母さん,小学生から中学生の子どもたちで賑わっていた。 石臼のそばには,子ども用の杵が用意され,それで餅をつこうとする子どもたちが行列を作っていた。 幼稚園ぐらいの女の子の順番が回ってきて,餅をつこうしたときである。お父さんらしき人は,臼から少しはなれたところで,娘の姿を写真に撮ろうとしている。女の子が杵を持ち上げるとその重みでふらふらしている。「おじさんの頭をつかんようにせえよ」と餅を反すおじさんのことばに,周りは大爆笑。女の子の振り下ろした杵は,餅ではなく,石臼の角に命中し,これまた大爆笑。 蒸篭の周りも長い行列があった。蒸しあがった熱いもち米にごま塩をかけて食べるために並んでいるのである。蒸篭担当のおじさんは自慢げに「こうして食べるんがうまいんで」といいながら,子どもたちの手に蒸しあがったもち米を乗せ,ごま塩をかけている。このことを聞きつけた,子どもたちのお母さんたちも行列をつくり,手のひらの上に載せられたごま塩米を「熱い,熱い」といいながらも美味しそうに食べていた。 つきあがった餅は,公園の隣にある集会所に運ばれ,丸められていた。おばちゃんやおばあちゃんたちの出番である。おばあちゃんの餅をちぎり丸める手際はさすがである。その周りには,「うちは,もう7個食べたんよ」「できたてのおもちは美味しいね」「みんなで作ると楽しいね」と,できたてのお餅をほおばる子どもや,自分で丸める子どもたちであふれかえっていた。 小さな子どもからおじいちゃん,おばあちゃんまで,世代を超え,みんなで手間暇をかけてついた餅,美味しくないはずはない。温かい年の瀬の休日であった。. 我が家では毎年春になると,旬の味を求めて妻と近くの山へ山菜採りに出かける。特にこの季節のたらの芽はてんぷらにすると甘くてとても美味しい。 今年も妻とこの味を求めて山に出かけた。ところが,毎年たらの芽が採れる場所では,枝や幹が折られたり,倒されたりして,頂芽だけでなく側芽を含め芽全体がもぎ取られているのだ。 旬を味わう楽しみが奪われたというより,人間の身勝手さ,貪欲さに寂しい気持ちになった。 その時ふと,私は,祖母の話を思い出した。祖母の家の庭に植えてある柿にまつわる話である。 秋になると,真っ赤に熟した柿の実を採るのが小学生の私の役目であった。その折,祖母は柿の木の上のある実のいくつかを必ず残すようにいわれていた。祖母は,「神様への贈り物」と幼い私に説明していたが,それは,鳥たちにも柿の実を残し,生を受けたものが自然の営みのなかで共に生きていくことへの教えであったと今になって思う。残した柿の実は,共生する生命たちへの贈り物なのである。 今年の山菜の収穫はいつもより少なかったが,祖母の姿を思い浮かべ,共生する生命に感謝しながら旬の味覚を家族で味わった。.
子どもに伝えたい「心に響くちょっといいはなし」
第36回 言葉よりも先に手が出る子 | 通常学級での特別支援教育 | みつむら web magazine | 光村図書出版 肢体不自由、知的障害、自閉症、ADHDやLDなどの障害のある子に対する教育実践を積むとともに、地域の学校現場や保護者などからの「ちょっと気になる子」への相談支援にも ヨンデミーは、AI ヨンデミー先生のサポートとゲーム感覚で楽しめるアプリによって、子どもが読書にハマるオンライン習い事。 1日3分のミニレッスンから始まる読書習慣 ‘ж‚QЏН‚±‚к‚©‚з‚М‰Ж’л‹і€з‚МЌЭ‚и•ы教育的な支援はあるが、 日々の読書習慣は身に付かない. 今年の年末は,思いがけず2度の大雪となりました。 私の勤めている学校にも30~40cmくらい積もりました。ところが,車道は除雪されても,歩道は除雪されません。低学年の子どもの登下校には,とてもつらい状況です。 そこで,学校からの通学路の歩道を歩いて,道をつけることにしました。誰も歩いていない,深いところはひざまである雪の中をおよそ2時間かけて,国道沿いの歩道を往復しました。長靴の中に雪が入るし,足は棒のようになりました。 歩きながら,自分が子どものころを思い出していました。 昔は今に比べて積雪量も多く,30cm位の積雪は珍しくありませんでした。こんなときは必ず,母が朝早くから家の前からメイン道路までの道を除雪してくれていました。 改めて,母の愛情を実感でき、心の中で「ありがとう」と言いました。 子どもたちは,しんどいことや面倒なことを避けず地道に取り組んでいる大人の姿を,じっとみています。 そして,子どもたちが大人になってしんどさを感じたとき,親や身近な大人の頑張っていた姿は,きっと心の支えになることでしょう。. 日曜日の昼下がりのことでした。 中電前の電停で見かけたできごとです。 白い杖を持たれた目の不自由な中年女性の方が,市電の上りと下りの電停のちょうど真ん中あたりの横断歩道の上でまごついておられるような様子でした。 信号も点滅しはじめたとき,すれ違った老夫婦が 「どっちへいくんの?駅?じゃぁこっちじゃ」 と手を引いて駅方面の電停まで来られ,赤に変わった横断歩道を急いで渡って去っていかれました。 次に,電停にいた中年の夫婦が,その女性に 「そんなに前によったら電車にはねられるけ,もうちょっと下がりんさい。次の電車が駅行きなんじゃけど,私ら己斐じゃけぇねぇ・・・」 と後ろに押しやったところで, 「わたしら駅へ行くけぇ,一緒に乗るわぁ」 と若いカップルの声。 それぞれかけた言葉はちょっと荒っぽかったような気もするけど,心温まる世代を超えた善意のリレー,まだまだ世の中捨てたものじゃないですね。. 県北に,今年一番の大雪が降りました。 朝起きて窓の外を見ると,外は真っ白,40cmぐらいの雪が積もっています。 ああ,また,今朝もこの雪道を通勤するのかと,少し憂鬱な気分で家を出ました。 すると思った通り,道はつるつる,車も列を作ってノロノロと動いています。. 田中栄子 (スタジオ4°C 代表) 素晴らしい学校だと思いました。(途中2~3回涙ぐみました) このドキュメンタリーは、 「自分の力で考えることができない生き方」への希望です。 自分の子供には、そうさせたくない。 自分の未来を自分で切り開く力を与えてあげたい。 この映画を見たら、誰もが感化されると思います。 私も、この歳で卒業生になった気分で、 新しく何かに挑戦したい気持ちになりました。. 前を歩いていた人が,何か落とした。よく見ると,ボロボロになったキーホルダーだった。周りにも人がいたけど,通り過ぎて行く。 僕は拾おうか放っておこうか迷っていたけど,手にはボロボロのキーホルダーが握られていた。 見ると予想以上にボロボロだった。どうしてこんな物を付けていたのかというくらいボロボロだった。 僕は落とした人に声をかけ渡した。 こちらが驚くほどお礼をされた。すごく頭を下げられたので,恥ずかしいくらいだった。 届けたのは僕だけど,何か大事な物を送られた気がした。.
読書は、一生モノの習い事
「こども若者☆いけんぷらす」などによりこどもの声を政策に反映させる取り組みを始めており、今秋には、こども大綱策定に 小学校に入ると、いよいよ本格的な勉強がスタートします。もちろん、学校の授業も大切ですが、同時に取り組んでいきたいのが「自宅学習」です。 肢体不自由、知的障害、自閉症、ADHDやLDなどの障害のある子に対する教育実践を積むとともに、地域の学校現場や保護者などからの「ちょっと気になる子」への相談支援にも こども家庭庁では年4月から.これは我が家の洗面所に貼られたレポート用紙の言葉である。長男が高校2年の春に書いた言葉。おそらく友達や先生,書籍からのキーワードだと思う。自問自答しながら大学受験を経験し,この冬,無事に成人式を迎えた。今もなお,悪戦苦闘しながら夢に向かって頑張っているようだ。 今では変色し,ぼろぼろになったレポート用紙ではあるが,いつしか我が家を支える言葉となった。 私自身,毎朝,毎晩目にすることで,エールを送りつつ,自問自答している。長男が日々自問自答したように。. 子どもにぴったりな本が わからない……. 月額料金 2, 円 最初の30日間は無料で体験できます。. ケロポンズ ミュージックユニット 信じてただ寄りそい、いっしょに生きる 一見簡単そうなのに、一番難しいのかもしれない。 教えたくなる。叱りたくなる。導きたくなる親だから。 大人だから。先生だから。 自分の中にある正しいを掲げて子どもたちを 追い込むのはもうやめて 子どもたちと楽しもうと思う。今を。 みんなが輝けば未来は自ずと明るくひかるよ. 住所 〒 東京都中央区八重洲1丁目5番20号 東京建物八重洲さくら通りビル 1階. 夢みる小学校 Dreaming school. サポート 4 本を読むと 友だちが応援 してくれる! ひとこと感想のシェアによって みんなでモチベーションUP!. 脳科学者の茂木さん曰く、この教育は脳を活性化する環境だ!と語しそれは卒業生の活躍に現れる。 自分で考えて行動すること。 人生を作るのにとてつもなく大切なことなのに今の学校教育はその環境を作れていない。 そして大人でさえもそれをできていない。 でも、知ったならこれからだ。 自分で作った枠を壊してほしい。. 低学年のうちは、 リビングなど親の目が行き届く場所で学習する ことがおすすめです。親も寄り添ってあげやすくなりますし、子どもも質問がしやすくなります。ただし、テレビがついていたり、まわりにおやつ、ゲーム機やおもちゃなどがあったりすると、子どもは気が散って集中ができません。勉強するときは、 必要のないものは目につかないところへ片づけ て、学習に集中できる環境を整えてあげましょう。. まずは 楽しく 読もう!. 登録前に、ヨンデミーのワクワク感のわかる オリジナル紙芝居(読み聞かせ音声付き)で お子さんのご様子をご覧ください! もしお子さんが楽しんでいれば、 そのまま無料体験へと進んでいただけます!. 冬のとても寒い朝,交差点で右折しようと信号を待っていた時のことです。 右前方の歩道で登校中の子どもたちにちょっとした事件が起きていました。 一人の子が,立ち止まって動こうとしないのです。黄色いランドセルカバーをしているのでたぶん1年生だと思われる小さな女の子は,動こうとせず小さくかぶりを振っています。 黄色い班長旗を持っている女の子が,小さな女の子の声を聞こうと一生懸命に腰をかがめていました。何度か背中に手を添えているのですが動こうとしません。 そのうち前にいた男の子が走って,やってきました。その子の手にも黄色い班長旗が握られていました。 その間,二人の班長さんは,待たされている通学班の子どもたちにも時々声をかけている様子で,誰も文句を言う様子もなくおとなしく待っています。 車を運転している途中のこと,声をかけてやることもできず,様子を伺う他ありませんでした。信号が変わり,その場を後にしましたが,どうも気にかかりその場に戻ってみました。その場に子どもたちの姿はもうありませんでした。 高学年とはいえ,まだ小さな小学生が,こんなにも優しくしっかりしている様子に,寒い寒い朝でしたが,心温まる思いでした。. 僕は中学3年生です。2月4日(火曜日)選抜(1)の受検に行きました。とても,大変だったけど,感動した出来事がありました。次の日,学校に行き,先生に話したら,すごく感動的な話なので県の教育委員会に「心に響くちょっといいはなし」というコーナーがあるから投稿してみたら,と言われたので書き込みます。 朝,広島駅で広島港行きの電車に乗った。乗り場は混んでいて,人混みに追われるように広島港行きの電車に乗った。僕は中電前で降りるつもりだった。電車の中で張り紙を見て停車する電停を確認していると,車内放送で停車駅が,段原とアナウンスがあり路線を間違えて違う電車に乗ってしまったことに気づいた。あわてて運転手さんに,中電前に行きたいと伝えると運転手さんは,次の的場で降りること,そこには電停が二つあることを教えてくださった。 的場で降りてその電停におられた方に広島港行きで中電前に止まる電停を教えてもらった。僕は教えてもらった電停へ行き,そこにおられた方に中電前に止まりますかと聞いた。 その方は,どうしたのかと聞いてくださった。僕は泣きながら,「受検で高校に行く途中なのですが電車を間違えてしまった。」と言った。 その方は「ついておいで。」と言われ一緒に電車に乗り八丁堀で降りた。そして,タクシーを止め,タクシーの運転手さんに1000円札を出し,「この子を国泰寺高校まで連れて行ってくれ」と伝え,僕に「頑張ってね」といって去っていった。僕は何がなんだか分からなくなっていて,お礼も言えないままにタクシーに乗った。 集合10分前に着いた。間に合った。電車の運転手さん,電停を教えて下さった方,そして八丁堀まで連れて行き,タクシーに乗せて頂いた方,そしてタクシーの運転手さん。みなさんの温かい配慮に感謝の気持ちでいっぱいです。. ある中学校の研究会で,とても素敵なお話が紹介されていました。 その中学校では,京都への修学旅行で広島県をPrするという取組みが行われています。「広島Pr」をテーマとした「総合的な学習」の一環として,事前に生徒は厳島神社や原爆ドームなど,方言や古典,お好み焼きなど広島県内の産業や文化などについて調べます。そして,実際の修学旅行先の京都で地元の人に声をかけ,アピールするというものです。 目的がはっきりしているので,内容だけでなく,伝える方法についてもきっと生徒は意欲的に学習したことでしょう。 そして,迎えたPrの当日,中には断られたりすることもあってすべてがうまくいったわけではないそうですが,多くの方に話を聞いてもらうことができて,生徒は充実して過ごしたそうです。 さて,この話には続きがあります。 後日,滋賀県にお住まいの大学の先生から学校に電話がありました。京都で生徒の「広島Pr」を聞いてくださった方です。説明が大変分かりやすく,また協力して作ったと思われるパンフレットも丁寧な手作り,お土産のしゃもじも嬉しかったとのことでした。 そして,さらに,この話は続きます。その先生が先般ロサンゼルスへ出張した際,ロス在住の広島県出身の一人暮しの高齢の女性に,パンフレットやしゃもじをお土産に持っていったところ,涙を流して喜ばれたとのこと。そのご高齢の女性は足が不自由になり,今となっては広島に帰省することが難しくなっていることもあり,大変懐かしがられたということでした。 私はこのお話を聞き,自分の心までも温かい気持ちになりました。一つの「出会い」が新たな「出会い」を生み,そして,さらに予想もつかないところで新たな「出会い」を生む,何物にも代えにくいものを得た子どもたちは,本当に貴重な体験をしたと思いました。 「何でもパソコン」でできてしまう時代に,生徒自らが心を込めて作った手書きのパンフレットは,きっと海を越えて温かい心まで運んでくれたことでしょう。. 道徳教育推進3-中身づくり(H21~) 心の元気を育てる道徳教育充実事業 「道徳教育改善・充実」総合対策事業 道徳教育推進拠点地域事業. ヨンデミーについて 推奨年齢 6〜12歳 自力読みチャレンジから、「ハリー・ポッター」シリーズが読めるくらいまでのお子さんを対象にしています。. 勉強をはじめるとき、 「好きな科目」と「苦手な科目」どちらを先にやるべき? と迷うかたもいるのではないでしょうか。この場合、ぜひ 「好きな科目」から はじめましょう。というのも、「勉強は楽しい」という気持ちを後押ししてくれるのは、「できた!」という達成感や自信です。もし、苦手な科目を先にやってしまい、できなかったり間違えが多くあったりすると、達成感が味わえず、やる気が下がってしまいます。まずは、「好きな科目」からはじめて、 やる気を引き出す ことが大切です。. 楽しく、たくさん、幅広く! 着実にステップアップできる サポートあり. 子どものおうち読書 × 教育はおまかせ! ノウハウを発信し、おうちで実践できる読書教育をサポートしています!. 保護者さま にも安心のサポート!. ドラゴンがたくさん登場する「カッコよさ」を追及した「ドラゴンドリル」シリーズの 計算ドリル。5までの数の練習からはじまり、スモールステップで進みながら、 までの数の足し算 ・引き算まで無理なく覚えることができます。 問題を解くごとに得られる大きなキラキラシール が日々の勉強のモチベーションに! シールを貼っていくと、カッコいいドラゴンのイラストが完成していくので、どんどん進めたくなります。 魔法書やダンジョンをモチーフにしたページのデザイン も魅力。 めくるだけでワクワクする仕掛け がいっぱいで、楽しみながら勉強ができます。. 日曜日の昼下がりのことでした。 中電前の電停で見かけたできごとです。 白い杖を持たれた目の不自由な中年女性の方が,市電の上りと下りの電停のちょうど真ん中あたりの横断歩道の上でまごついておられるような様子でした。 信号も点滅しはじめたとき,すれ違った老夫婦が 「どっちへいくんの?駅?じゃぁこっちじゃ」 と手を引いて駅方面の電停まで来られ,赤に変わった横断歩道を急いで渡って去っていかれました。 次に,電停にいた中年の夫婦が,その女性に 「そんなに前によったら電車にはねられるけ,もうちょっと下がりんさい。次の電車が駅行きなんじゃけど,私ら己斐じゃけぇねぇ・・・」 と後ろに押しやったところで, 「わたしら駅へ行くけぇ,一緒に乗るわぁ」 と若いカップルの声。 それぞれかけた言葉はちょっと荒っぽかったような気もするけど,心温まる世代を超えた善意のリレー,まだまだ世の中捨てたものじゃないですね。. ヨンデミー先生が感想を聞いてくれて、次の本を読む約束もしてくれるので、本を読むことがどんどん楽しみになる! 本で学んだ新しい言葉を使って感想を伝えれば、だんだんコミュニケーションが上達し、自分の気持ちを表現できるように!. ある方からこんな話を聞きました。 大竹高校では,地域と交流しながら花を植えて育てているということです。 大竹市玖波に住所のお年寄りが,花を植えたいのだが,身体が不自由なので植えることができないでいるという話が,大竹高校の校長先生の耳に入ったそうです。このことを校長先生が生徒集会でお話をされたそうです。 すると,野球部の生徒4人が自分たちの家の近所だという事で,自主的に練習休みの日に行って,花を植えてあげたというのです。 そのお年寄りはたいへん喜ばれて,学校へお礼のメールや感謝状を出されたとのこと。. 先日,わけあって住み慣れた家を処分することになった。引っ越し荷物の整理をしていると物置の隅の方からボロボロになった菓子箱が出てきた。開けてみるとそこには昔懐かしい写真の他に幾つかの封書と紙切れが詰まっていた。だれがこんなものを大事にとっておいたのか分からない。父に聞くと,お母さんにちがいないということになった。思えば母は,何でも大切にとっておく性分だった。どんなガラクタでも捨てられないといっては,どこかへしまい込んだ。おかげで我が家の物置はどこもいっぱいだった。 その菓子箱の中から,私の幼いときの写真と一緒にほんとに懐かしいものが出てきた。原稿用紙に赤ん坊の写真が貼り付けてあり,自分の出生の逸話が記されていた。それは,小学校1年生の時に,私が書いた作文であった。そこには,出産の時,母の命が危なかったことや両親の願いが記されていた。もっと驚いたのは,小学校1年生から高校を卒業するまでの成績表のすべてが残されていたことだった。毎年,学期末には通知票を親に渡した。別段,褒められた覚えもなければ,叱られた記憶もない。きまって「神さんに上げておきなさい」といわれて神棚に載せて手を合わせた記憶だけが残っている。 先日,初めて我が子を小学校にやった。この子は,どんな人間に成長するのだろうか。できれば立派な人間に成長してほしい。あれやこれやと期待も膨らんだ。そのとき,母の菓子箱のことを思い出した。母が,あの作文や成績表を捨てられなかったわけが分かった気がした。我が子の将来に対する期待。母は,我が子への希望を捨てることができなかったのだ。今にして思う。私は,母の期待に応えただろうか。母に胸を張れる生き方をしているのだろうか。物置の片隅にあったボロボロの菓子箱が,今は私の宝物である。. 年齢 :30代 性別 :女性 職業 :その他 住所:県内 安浦町 わたしの家にはつばめの巣がたくさんあります。 特に納屋には,既にいくつもの巣がかけられており,その下はふんでいっぱいで困っ ているのですが,新たに家の入口の上にもつばめが巣をかけ始めました。 そのつばめ夫婦は新婚らしく(?)どうしても新居がほしい様子で,いくらその場所 から追っ払ってもまた,そこに帰ってきては巣づくりを始めます。わたしは入口が泥や ふんで汚れていくのがいやで,何とか追い払うことばかり考えていました。 先日,おじいさんがその巣の下にたなを作ってくれました。追い払うことばかり考え ていたわたしに対し,つばめと仲良くやっていこうと知恵をしぼってたなを作ったおじ いさんの優しさに,わたしは自分の心のせまさを感じたのでした。 困ったことに対して,自分の都合でひとつの解決方法しか考えないのではなく,より よい解決の仕方を考えていくことが大切であると実感しました。. 見終えた時に、一筋の涙が流れた。 感動ではなく悲しみだったのかもしれない。 感じて、考えて、気づく学びの世界で 救えた命があったのではと。. 終始、涙が溢れて止まりませんでした。 冒頭の子どもたちの内側から溢れ出すエネルギーが、輝きを放つ姿。 答えが全てここに凝縮されていました。 そこには『自信』『信頼』『希望』そういったものが確実に彼らの中に存在していることを感じました。. 縄文時代に「学校」はありませんでした。 人間は学校に行かなくても生きていけるのです。 一番大切なのは、この映画のように 子どもが「笑顔」でいることだと思うのです。. この映画の中に生きてる、子どもたち、おとなたち、 みんなが命を輝かせている。 あなたはあなたのまま。わたしはわたしのまま。 「ある」がままでいい。 自由でいいんだよ!って、大きく、あったかい声が 胸に満ちて、響きわたる!. 入会金 無料. 汐見稔幸 (東京大学名誉教授) 子どもは任され、信頼されればされるほど、 自分に深い肯定感を身につける。 それは多分世界への愛の原点になる。 今に子どもの村から、 ノーベル賞級の研究者、実業家、アーティストが 出てくるに違いない。 しかも愛のある、だ。.